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坂口博信氏が語ったFF1ができるまでのインタビューが面白すぎる!「ナーシャはイランの王族でイラン革命で渡米した」

FF1パッケージ
FF1ができるまでのスクウェアの内情を、生みの親である坂口博信氏が語っているインタビューが面白すぎるのでご紹介。求人を見てスクウェアに入ったら鳥人間コンテストのゲームを作ることになったものの、許諾を受けていなかったために突然プロジェクトが解散し、春休みが潰れたとか、むちゃくちゃなエピソードがてんこ盛りです!有名クリエイターとの出会いをかいつまんで紹介すると…。

――植松伸夫さんとの出会いはどういう経緯だったんですか?

坂口:その頃、植松さんは……近所のレンタルショップでアルバイトしていました。

坂口:ナーシャですね。彼は元々イランの王族で、イラン革命のときに国外に出て米国に渡ったと聞いています。

もうプレゼンで僕は「RPGで、ドラクエを打ち負かす!」と大々的に言ったわけですよ。
……ところが、蓋を開けてみたら、集まってきたのはナーシャとドッターの渋谷員子さんと、あとひとりだけ。

だから、もう仕方なく、僕はリクルートをしました。
 そうしたら、孔雀みたいな羽をつけた革ジャンを着てるような、チンピラみたいな奴が面接を受けに来たの。「こんちはーっす。面接やってんすよね?」とか言って。ところが、そいつが開いたノートを見たら、可愛らしいキャラの絵がたくさん描かれていて、「なんだこれは……」と思った。あまりに面白いから、採用です。それがFFのキャラやチョコボの生みの親の石井浩一でした。後に、彼は「聖剣伝説」シリーズを作りました。
それと、東工大のSF研で日々TRPGを遊んでいたやつも採用しました。それが後に「Sa・Ga」シリーズを作った河津秋敏です。

濃すぎる…。あまりに沢山の話があり、とても全部は紹介しきれないのでぜひ元記事を読んでほしいのですが、FF7の売れた理由などに触れつつ「FFは自分が出会ったさまざまな人たちとのエネルギーの集合体ですね。」とまとめています。なんかもうよくわからないカオスなエネルギーがみちみちに満ちているのは読んでて伝わってきます。そうした熱狂と時代の熱狂があわさった濁流のようなものが、かつてのFFだったのかもしれません。(ニコニコ自作ゲームフェス)

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