ドラクエの堀井雄二さんがFF10を「完成形」と評価したことを受けて、 FF7/8/10シナリオの野島さんが、ドラクエと比べて「喋る主人公」になった経緯を語っておられます!
個人的に。7、8、10の設定とかシナリオとかやらせてもらったんだけど根がドラクエ育ちなもので主人公は喋らない、プレイヤーの器であるべきみたいな刷り込みがあった。でもキャラクターのモーションが欠かせない時代になっていた。プレイヤーの操作によらないアクションもキャラクターの個性、主張と考… https://t.co/XQYkkZiN0G
— K.Nojima (@sgwr1) November 28, 2025
ということで、最初はドラクエを意識して無口なキャラにしていたのを、野島さんの中で3作目にしてやっと素直にしゃべるキャラにできた、と。
クラウド:無口風なのにまあまあ喋るがその話が本当かどうかわからない奴
スコール:無口だが心の中でいっぱい喋る奴
ティーダ:素直に喋る奴
















吉Pが制作したFF16のクライブは、街の人々と同じで、よく独り言を呟くんですね。これは、堀井さんが考えた一人称の問題ですね。野島さんの完成形だったFF10は、ナレーション(語り部)を入れたうえに、それを回想に位置付けたわけです。手紙のような、二人称の問題もクリアになって、また、神の視点から語り下ろす三人称とも異なっている。作品の中では、メイチェンに語らせているわけですが、入れ子構造になっているわけですね。映画でも大河ドラマでも、物語の伝え方や、ナレーションに注目して鑑賞すると、プロットを面白く感じられると思います。
ハードの表現力の進化にともなって
主人公がどんどん喋るようになったわけですね
私小説は、大正期の文学を源流としていて、白樺派と学校で習うんですけど、独白で喋り倒すわけですね。兎に角、一人称で語り始めると止まらなくなって、能書きが先に立つ。倒叙ミステリなんかも工夫されていく他方で、ガラパゴス的になって、日本語が滅びると云っても、誰も意に介さなくなるんです。新しい自己というものが、エゴサーチされて、啓発の対象となり、パワポ資料になる。最近の分人主義も、AIのように嘘を付くんです。